「空気」とYou are traffic.
You don't stuck in traffic. You are traffic.
という言葉をネットで目にした。ちょっと面白かったのでメモ。
訳すとすれば、「渋滞に巻き込まれるんじゃなく、おまえが渋滞そのものなんだよ」って感じだろうか。でも訳すとすこし野暮ったくなってしまう。やっぱり元の英語のシンプルさが好きだ。
この言葉、交通渋滞に限らずいろんな場面で思い当たるフシがある。
自分が何かに巻き込まれた、と思っているけど実は自分自身がそれを作り出している。でもそのことに自分では気づいていない。そんな感じ。
「空気」というのはまさにこれだと思う。
「自分は本当は反対だったけど、まわりの空気に逆らえなかった」などと言い訳をする当の本人が、反対しづらい「空気」を自分で作っている。
物理的(自然)な空気は吸う人がいなくても存在するが、「空気」はそれを読む人がいなければ存在しえない。つまり「空気」は作為のなせるわざであって、決して自然ではないのだが、しかしそれを誰も作為と思わず自然と思い込んでしまうところに「空気」の本質があるのだろう。「空気」というメタファーそれ自体に、作為を自然へと転換するある種のねじれが含まれている。
人が渋滞に巻き込まれるのではなく渋滞そのもであるように、人は空気にのまれるのではなく空気そのものなのだ。